ヤズコルヤズカマク

ヤズコルヤズカマクとはケチュア語で「行って目にして帰ってきたもの。目撃者…火山の内部を見た者。翼をもつ赤い存在…自らの弱さを全て焼き払った…を意味する(「赤の自伝」より)

OKさんへの手紙 その14

過ぎた夏を探すように、いやあきらめたかのようなのかな?出足の遅れた蝉が一匹鳴いています。OKさんはいかがお過ごしでしょうか。こちらではそろそろ白のランニングシャツに短パンゴムぞうりという山下清スタイルも限界が近づいてきまた。ちょっと肌寒い。このコーディネートは誰がどう着こなそうと囚人然としたたたずまいを醸し出します。そうなるべくしてのものなんでしょう。

山下清といえば草間彌生草間彌生展のチラシありがとうございます。送ってもらったチラシを手にして「どうして自分にこれを?ここで創作活動にいそしんでアールブリュットに目覚めよってこと?」っていぶかしんでました。裏面のメッセージをみつけ納得。施設のイベントで行かれたんですね。草間彌生か…精神障害者の希望の星的存在ですよね。いいな~。常設展ができたんですよね。いつか行ってみたいなあ。

天命反転地もそうですが、高田城、明星山、尾瀬祇園祭宵山…いつか行ってみたい場所を指折り数えたら握りこぶしがいくつあっても足りない。

もう一枚のちらし、AM君のバレエの本番までカウントダウンですね。ここでいろいろ語ると縁起悪そうなんでひかえます。シンプルに24日の夕方、東の空にうまくいくことを祈っています。どうだったかまた報告、感想、期待してます。

@@@の二人が結婚って、おめでたい。式での二人の幸せそうな姿(まあ挙式で幸せでなければいつ幸せなんだという話でもありますが)想像してます。ひとつ成し遂げたんだなあ。OKさんもあやかって恋愛してみてはどうですか。ってこういう発言はOKさんの好きな上野千鶴子的にはナンセンスなんですかね。OKさんは卒論のテーマが「女性史」だったんですね。第一志望は「やくざ」って書いてましたが、不用意にやくざについてコメントすると検閲が心配なのでだまります。

僕は社会学部だったので女性学も受講必須でした。だけど、まだ自分自身のセクシャリティもぼかした生き方をしていた若者にジェンダー問題はいまいちピンとこないものでした。権利主張を高らかに唱えることのできる人というのは子供のころすごくめぐまれた環境で育ってこれた人だと思います。声をあげれば聞いてもらえる。手を伸ばせばつかみとれる。そんな経験を積み重ねた土台がなければできないような気がします。大学での勉強は結局うわっつらだけをなぞって理解した気になって満足したというか、理解してないことは理解してないことがわかってるだけマシだと居直ってしまうような質の悪い学生でした。もっとちゃんと勉強しとけばよかったなあ。今度卒論読ませてください。ちょうど話題になった上野千鶴子の本でひとつリクエストがあります。「快楽上等!」プリーズ。

送っていただいた本読みました。「星の王子様」はここでの官本にあり借りたこともあったんですが、どこかの不心得者が途中から破ってしまっていて(図書館の本の落書きは便所の落書きに近い感覚で笑ってすますことができますが、毛なんかがはさまっているのには、掃除のされてないトイレの便器のように不愉快な気分にさせられます。破れてるなんて論外。意味が分からん。)、あきらめていた星の王子様にシンクロニシティ。エンディングを迎えられてよかったです。

みうらじゅんも面白かったです。「色即是空」ノートに書き留めました。こんな面白いものを書いたのに死んでしまたんだなあと感慨深く読んでいたところ、まだ生きてるらしいという事実を他の受刑者に訂正されました。中島らもと人違いをしていたようです。

それと夏100のガイドブックも感謝です。実物を手にするわけでもないのにくりかえし読んでいます。利用者さんが昔のテレビガイドを何度も読んでる姿を理解できずにいましたが、今だったらよくわかります。

さて、いただいた手紙にもありましたが、僕のライフワークである薬物問題ですが、違法薬物ってのはあるところにはあるもんなんです。覚せい剤だけで日本では一年に3トンが押収されています。それも氷山の一角で流通してる量は計り知れません。身近なクスリなんです。ノウハウをしってしまうと半日で手に入ります。そして半年で刑務所に入るという仕掛けです。よく都会だと手に入りやすいので危険だといいますが、ネット社会の今、スマホを持ち歩く限り安全な場所はありません。

ここにいる受刑者の一人は「どうせ短い人生、好きなように生きる。クスリも使いたいだけ使う。それで死ぬんだったら本望だ」と言い切ります。その気持ちはわかりすぎるほどわかるけど…。それは自分の選んだ人生を生きたことになるかもしれないが、幸福な人生なのか?という疑念もザワザワと。ボクはきっと幸せになりたいんだと思います。

クスリの話になると話の着地点がわからなくなります。「もう近づかないんで安心してください」って言うのが正解なんでしょうが、白々しいしなあ。「続く」とでもしておきます。

 

これからどうしていこうか。あと一年くらいで仮釈ゲットしたいなあ。一応出所したら@@@という更生保護施設(出所後帰来さきのない受刑者を引き受け、社会復帰のサポートをする施設)に入所することになっています。ここからしばらく保護観察所のフォローをうけながら、(要は月二回の尿検査と処遇面接での生活状況チェック)、HIV、依存症の治療のための通院(ここでも多分尿検査)、そして@@@への通所(通勤?)ってのが自立へのざっくりしたアウトラインです。医療観察法の対象者に近いかな。

@@@はW大学の先生のコネを使いました。身体も精神も障害者手帳を所持できるので多分就労継続A型の利用者枠でスタートです。福祉の仕事への業の深さを感じます。

「戻ってからの方が長い」。OKさんの言葉に救われます。「100」まで生きるプランがHIVになったことで「80」に変更になりました。残り38年。どう生きていこうか。どう老いていこうか。どう死を迎えようか。OKさんの手紙にも老いや死に関するフレーズがちらほら。最近読んだ村上春樹の短編の一説。「これからあなたはゆるやかに死に向かう準備をなさらなくてはなりません。これから先、生きることだけに多くの力を割いてしまうと、うまく死ぬことができなくなります。少しずつシフトを変えていかなくてはなりません。生きることと死ぬこととは、ある意味では等価なのです」。「死に向かう準備」「うまく死ぬ」「生と死は等価」、本質はつかめてませんが大事な何かを指南された気になります。

「生」を実感するには「死」を身近においてみてはどうだろう。そういう意味ではHIVになったことは「生」をかみしめる最高の状態とも言えます。最近は自分の死体が横たわっている風景が頭にうかぶことがあります。別に嫌な感じではありません。絶望に一人盛り上がっていた時期は過ぎて、今はこの状況ももしかしたら願っていたことなのかもとすら思えています

自分の顔を直接見ることができないように、生きている者には死について語ることはできない。その正体不明な死を意識して生活することができるのは人生の折り返しを向かえた者の特権なのかと。出所者っぽく哲学っぽっく考えてみました。さわやかな秋空によく似合うさらっとした手紙にするつもりが結局ダラダラと枚数制限7枚を使い切ることになってしまいました。

本当は刑務所あるあるみたいなネタをさくさくもりこみたいたいんですが、いちいちがくどくどなってしまいます。性格でしょうね。すみません。

はぐれゼミのバラードが終わり、地虫たちのララバイが聞こえはじめました。9月いい季節です。AM君がベストなパフォーマンスをできますように。OKさんが秋の夜、長くゆっくり休めますように。この願い叶いますように。ではでは。

 

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