ヤズコルヤズカマク

ヤズコルヤズカマクとはケチュア語で「行って目にして帰ってきたもの。目撃者…火山の内部を見た者。翼をもつ赤い存在…自らの弱さを全て焼き払った…を意味する(「赤の自伝」より)

ボクが『つくろい東京ファンド活動報告会2024』で話したこと(と話せなかったこと)

ボクは週に1日、つくろい東京ファンドで働いている。

つくろい東京ファンドは中野区に拠点を持ち生活困窮者の支援をしている活動団体だ。

 

https://tsukuroi.tokyo

 

ボクはここでさまざま理由で住まいを失ってしまった方々の支援をしている。働き始めてもう一年が過ぎた。今回つくろい東京ファンドの10周年活動報告会にてこの一年の実践について振り返る機会を与えられたのだが、そこで話したこと(話せなかったこと)をまとめてみた。(以下「つくろい東京ファンド」を「つくろい」と略す)

 

まずは自己紹介。ボクがどうやってつくろいで働くことになったかをお伝えしたい。

福岡の生まれのボクは大学を出て福祉の仕事に飛び込んだ。大学では社会学を専攻していたが、なぜか精神科医療の現場に惹かれるものがありそこから福岡、沖縄の精神科病院、千葉の障害者施設でソーシャルワーカーとして働き…紆余曲折あった結果…五年前に東京の困窮者支援の現場に辿りついた。その頃からつくろいともお仕事することがあり、支援活動にも充実を感じる毎日でがむしゃらに走っていたんだが…ボクは日頃からイリーガルなアッパー系のドラッグが好きで…というか愛しており…ちょっとやめれなくて…捕まったりして…何度も捕まったりして…結局矯正施設を利用することになったんだけれど(行きは良い良い帰りは怖い)入ったはいいものの刑期を終えたとて家がない。とても困った状態に陥ってしまった。

そんな時に手を差し伸べてくれたのがつくろいだった。仮釈放の住処としてボクはつくろいのシェルターを利用することになった。住処だけでない。つくろいは仕事を失っていたボクをそのままスタッフとして雇ってくれもした。なかなかできることじゃない。こんなリスクのある人物を雇うなんてそうそうやれないと思う。どうかしてると不安になるくらいに懐が深い。

 

つくろいは相談者を選別しない。ギリギリのセーフティネットが対象者を選別すると死人が出てしまうからだ。アセスメントは横に置く態度が基本姿勢。高度なスキルと覚悟が必要になる。ボクはつくろいのそのど根性な実践を利用者の立場でそのまま体験できた。非常に説得力ある場所であることを身をもって知ることができたんだ。

 

底辺を生きたボクは自助で這い上がる辛さをよく知っている。それを自負にしていたところもある。だから誰かの共助になりたかった。あんな辛さを誰にも経験はして欲しくはないと思っていた。だけどもしかしたらボクは自助だけでここまで来たわけではなかったのかもしれない。共助があったからここまでサバイブできたのかもしれない。そう思うようになってきた。

それはつくろいのシェルターでの経験があったからだろう。

全ての困窮者がつくろいにつながるわけではない。ボクを含めて繋がれた人はラッキーだ。ラッキーはいつかハッピーに変わる。ラッキーとハッピーを手にしたボクは以前よりも少し優しくなれたような気がする。こんな風に社会も優しくなっていけばいいのになあ。お花畑な考えだと指を指されようがボクは期待してしまう。

 

今は、つくろいで週1日と同じように以前からの付き合いのまま雇ってくれた豊島区の千川にあるゆうりんクリニックで週3日、それとサンカクシャという若者支援団体で週3日働いている。控えめに言って働きすぎだ。(馬車馬のように働いているのは劣悪な労働条件のせいではない。それぞれしっかりお給料はいただいている)。まあそれについては収監中のブランクを取り戻している意味合いもありそのうちペースダウンするような気もするが、今は馬車馬でいいかなあ。そんな感じだ。

 

この一年、つくろいをきっかけに29人の方と出会った。

彼らとは…生活保護の申請に至るまでのホテルの確保、生活保護の申請同行、シェルター利用の相談、医療機関との連携、家族、保護課のケースワーカーへの代弁、アパート探しのための不動産訪問、自己破産の相談…付き合い方はさまざまだ。他の部門のスタッフと手分けしても大忙しだ。

もちろん関わりに密度、長さは人それぞれ。深い付き合いになる方もいればあっさりと別れる方もいる。

 

住まいを失った人たち。彼らは支援者の想像を超えた世界を知っている。今よりももっと落ちても大丈夫なことをよく知っている人たちばかりだ。だからとても丁寧に関わる必要がある。出会ってすぐに個人のラインの交換を行う。病院や施設に勤めていてはあり得ない踏み込み方だ。いつ消えてしまうかわからない危うさがそこにはあるから。とにかく我々はあなたに害を与えない人間であるというメッセージを伝え続ける。

時にはお金も貸す。奢ることもある。物資の提供する機会だって少なくない。目的は救済だが手段は自己犠牲。バウンダリーがないように見えるのかもしれない。制度設計から漏れた人たちのサポートをするんだから枠から外れるのも仕方ない。そんな風に理由づける。困窮者支援の専門性ってなんなんだろうと迷う毎日だ。

 

近頃一番苦労した話をシェアしておきたい。
日本生まれの外国籍の若者の部屋探しをしていたんだが、保証協会の審査にことごとく落ちて、ほんと落ち続けて、なんとか最後の一社で保証人を立てることようやく決まった。(結局、保証協会を使う条件として保証人を求められ、その支援団体の代表が保証人になることでどうにか契約にこぎつけたのだけれども…やっぱ権力と財力はこういう風に使わなくっちゃね)。若者本人も支援者も不動産業者もとにかく全員がつらく苦しい時間だった。

審査が通ったという知らせをボクはバスの中で聞いた。ボクは周りの迷惑をかえりみず「よし」と叫んだ。本当にホッとした。一般の(この表現がいいのかわからないが)福祉現場ならここで支援は一区切りがつけられるだろう。「ああどうにか部屋が見つかってよかったね」でとりあえず援助終結だ。

だけどそれでよしとしない態度をつくろいはもつ。

犯罪歴もなく、クレジットのブラックリストに載ってるでもなく、これまでに家賃をとばした履歴もない。それなのにこんなに審査に落ちてしまうのは外国籍であると言う理由だけ。そんなのおかしいだろう。理不尽だ。この社会はどう考えても間違っている。そんな怒りをつくろいは持ってしまうのだ。

 

普通の人向けにデザインされた社会で普通ではないとされた人たちが普通を目指さなければいけない地獄。


困窮者支援の現場ではどうしても支援者の個の力量に頼ってしまうことが多い。その人の頑張りがあるから可能になる支援。その人のセンスあってこそ超えれる困難。それじゃあダメだ。再現性がないし、文化にならない。この現場にはシステムが必要なんだ。誰も一人も置いていかない正しくやさしいシステムが求められる。

そのためにボクたちソーシャルワーカーはソーシャルアクションとケースワークの両軸を意識してやっていかなければいけない。常に活動家的眼差しを持たなければならない。

ボクはそう思う。

そう思うスピリッツをつくろいは教えてくれた。

 

3時間近くに及んだ報告会が終わる。

レンタルした機材を片付けてコンビニで送り届ける作業を皆で見守って確認して、それぞれは岐路につく。打ち上げなんてない。大志郎さんは今からビバークにSOSの入った女性に会いに行くらしい。一息くらいついてもいいだろうに。だけどSOSが入る限り止まるわけにはいかない。活動は続くよどこまでも、いつまでも。それも悲しい現実だ。

 

ボクは今日も明日もつくろい東京ファンドで働いていく。働いているというか活動していると言った方がいいのかもしれない。

ボクはこれからも活動をやめない。

 

 

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