ヤズコルヤズカマク

ヤズコルヤズカマクとはケチュア語で「行って目にして帰ってきたもの。目撃者…火山の内部を見た者。翼をもつ赤い存在…自らの弱さを全て焼き払った…を意味する(「赤の自伝」より)

レターフロムプリズン

お元気ですか。

仮面おめでとう。

良い年越しだったんじゃないでしょうか?

人のグッドエピソードはいいね。ほっこりする。

なかなか楽しみなど少ない毎日でしょうから、ボクからもと思い最近のいいことを伝えようと最近のいい記憶を思い返してみました。

そしたら一つ思い当たる事件が…

 

先週末、iPhoneが突然トイレに身投げを図りました。

すぐに気づき救助しましたが(便器に手を突っ込むのに人はこんなにも躊躇を必要としないだ。と自分に驚きながら)、我が愛フォンの意識レベルはぐんぐん低下し、パワーボタンを押しても電源が入ったり入らなかったり、スマホなのに虫の息の根が聞こえてきて…とても怖くなって…トイレの神様にどうか生かしてくださいと、来年の初詣で祈るので願掛けしたりして、もちろん現実的な対応も疎かにはできず、いろんな人のアドバイスを受けて、乾燥剤のパックに入れて米櫃で一晩越させることにしました。その結果、何が効いたのかよくわかりませんが、どうにか峠は超えました。

このスマホ、もうかれこれ五年近くの使っていて(いったい幾つの交番と警察署と刑務所を経験しているのだろうw)、そんなに大事に使っているわけでもないのにいざ使えなくなるかもしれないと思うと焦ります。あの画像はゴミ箱からも確実に削除しとくべきだったとか(これが一番強い後悔だった)。

カメラがいかれてしまい薄ぼんやりとしたショットしか撮れなくなってしまいましたが(これが本当に白いモヤがかかったような写りで、マッチングアプリで投稿したらもっとはっきりした顔画送ってくださいって言われるレベル)、まあグッドエピーソードではありましたので、ここに紹介いたします。

ほっこりできましたか?

じゃあね。

 

 

追伸

もうすぐ本面…。本面って言葉は控えめに言って希望だよね(わかるやつにしかわからんだろうけど)。

うまくいけば4月にはでて来れるということなので、送ろうと思っていた本たちを怒涛の如く送ろうと思います。

心しておいてください。

今回は読みたがっていた戦争モノとSFです。

 

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今を生きる

若者は感謝をしない

若者は感謝をせずに生きていく

それでいいと思う

それがいいと思う

過去の誰かの親切でなく、未来の希望への一挙集中主義的態度

常に前だけ、入り口だらけの毎日

明日にのみ今のすべてを賭ける姿は逞しく頼もしい

感謝じゃ前に進めない

今、今、今

今を生きていく

もう若くないボクは少し羨みながら、彼らの今がよくなるための手立ての捻出に四苦八苦する

彼らの遊び場をただただ耕す

それが大人の義務と役目

それが大人の限界と余裕

そしてボクは今日も彼らの今にタッチする

ときにその熱さに火傷しながら

ときにその烈しさに打ちのめされながら

 

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手紙

元気ですか。お手紙ありがとうございました。ニヤニヤしながら読みました。

なかなか手紙が書けなくてすみません。

引越しをしたり、新しい仕事を始めたりして慌ただしくしておりまして…

世の中では無惨にも大きな戦争が始まり、その戦争が終わる前にまた無様にも別の戦争が始まり、かといって自分の生活を止めることもできず、愚かさと無力さを感じる日々を過ごしています。

何もできない自分に慣れるのは辛いもんですね。

 

ボクは今、新宿にあるIRAというアナーキーな本屋さんの獄中者に手紙を書くという集まりに参加してこの手紙をしたためています。

無期懲役の方だとか、死刑囚とか、海外の政治犯への手紙を書いている人なんてかもいて、法務省ファックユーな雑談を交わしながら、なかなかに反体制なムードが漂っていて素敵です。

活動家って面白いですね。そしてこの手紙もそんな活動の一環となっていると思うと熱がこもります。

 

今はどんな楽しみがありますか。運動会は準優勝おめでとうございます。

ボクは最近はあまり本を読めていません。映画も観れていません。

毎日バタバタと仕事で中野区、豊島区、新宿区、北区、練馬区板橋区あたりを走りまわっています。

この間、有楽町線に乗って物思いに耽っていたところ乗り過ごしてしまい危うく和光まで行ってしまうところでした。(氷川台で気づいて降りた)。ちょっとビビりました。

いつか勇気を持てたら埼玉にも足を踏み入れてみたいものです。

 

引っ越した新居にはしばらくカーテンがなく、夜はあかりをつけると外から丸見えになってしまうので暗くなるとスマホのライトを使って諸々をこなしていました。そんな逃亡者のような生活でしたが、今はブラインドをつけたので光の中で過ごせています。

中野区はケバブも安くて美味しいし、なかなかにいい街です。そしてボクはそのケバブの食べ過ぎのせいで半年で7キロ太りました。そろそろ70キロになりそう。肉をつけて寒さを乗り切る所存です。

 

そちらは寒いでしょうね…ですけど来年の今頃はアゲアゲで楽しめてるはずなので気合い入れて最後の冬を乗り越えてください。

それではお体に気をつけて。運動のしすぎにも気をつけて。会える日を楽しみにしています。

 

 

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追伸

若者支援の団体で新たに週一働きはじめたんですが、若者の生態って未知すぎて…今度いろいろ教えてください。

 

 

 

WANTOK(ワントク)

だんだんと暮れていく
薄暗い部屋
もう顔も見えない
明るくしませんか?と言いたい
言えない
暗さに気づいてないのかな
沈黙
ときより水の中から湧き出てくる小さなあぶくみたいな語り
ボクは聴く
いや、ただ言葉が出てこないだけ
うなづくしかできない
はっと気づいたように、電気のスイッチをつけてくれる

隅々まで行き渡る光

他人であることが証明されたようで安心する

次に来た時にはもっと暗く深い場所まで行けたらなあと思う

 

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働くことの人類学【活字版】 仕事と自由をめぐる8つの対話

 

WANTOK(ワントク)とはこの本の中に出てきた言葉。

 

 

 

晴れた日の薄暗い精神

仮釈が終わった。

罰を乗り越えた経験を「どうだオレってすごいだろう」ってたいそう高らかに誇るのも御門違いだ。「晴れて自由だね」と喜んでくれる同僚に「また使ったら捕まってしまう可能性があるからそんなに嬉しくないし、安心もできない」と返したら呆れられてしまった。

何はともあれめでたい話である。とはいえ色々考える。

 

刑務所にいた時に、事件の原因を事件を起こす以外の解決方法について考えるという課題があったことを思い出した。

事件の原因は簡単だ。薬を使いたいという気持ちのせいだ。この原因を解決する方法なんてさらに簡単だ「薬を使う」一択だろう。ごちゃごちゃ言ったって他のアイデアは妥協以外の何物でもない。自助グループ、ミーティング、カウンセリング、教育プログラム…マスターべションだってそう。妥協を積み上げてちまちま紛らわしているって話にすぎない。

回避は解決にあらず。

 

事件を起こした状況を振り返ってみようって課題もあったっけなあ。

ボクは職質された場面を思い出した。ボクにとっては薬の使用よりも逮捕の方が断然と大事件だったんだ。

あの頃は…だんだんと刑務所に近づくような道を歩いてきたんだけど、自覚がないから本人としては落とし穴に引っかかったみたいにに慌てふためいてしまった。怒り、叫び、自分を落ち着かせることに懸命にあたふたする。そして、使用の記憶が逮捕のエピソードに上書きされる。

ボクは精神障害者であり、かつ倫理障害者でもあるのだろう。「やめる」と「やめなくても大丈夫な社会をつくる」の夢を同時に成し遂げようとしてしまう理想高き愚かなアホだ。

 

まあなんにせよ、ボクの人生の分かれ道は覚醒剤との出会いだったことであることは間違いない。だけど覚醒剤に出会わなかった人生を生きる自分と今ここにいる自分とは別人だ。ボクはボクでよろしくやるしかない。

 

とりあえずナイモンでも登録しようかな。けどなあ。あの虚栄心と自尊心と劣等感をいやな感じで突いてくる世界観は今のボクにはまだ刺激的すぎるかな。

まあいいや、寂しくてもつらくてもしんどくても不幸でも、悲しくさえなければボクはボクらしくいられるからもう大丈夫。

 

 

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特殊詐欺グループのアジト見たいだと言われたがらんとしたマイスイートホーム。目指すは定住。

マイノリティとしての品格

「前科」と「覚醒剤」から放たれる闇のオーラが強すぎてボクの中の「HIV」と「性的指向」のアイデンティティの影の存在感が薄れる。
ハッキリ言ってほとんど忘れている。

そう言えばオレってHIVとセクマイの当事者だったなあって思うのは…いつだっけ?

処方薬は毎朝、もう自動的にプロテインミノキシジルと共に飲むもの。収監…もとい習慣化されている。日常と化した場所には、正にしろ負にしろ自意識は宿りにくい。

障害者手帳を使って都営パスを使うときと映画館を1000円で利用するときくらいかなあ。自分が障害者であることを確認するのは。

でもさ、別にいい。特によくない態度ではない(とボクは思っている)。

現実に目を逸らすな、たるんでんじゃないぞと言われてもどうしようもない。

Xで「手帳使って美術館行きました。ヤッホー!」なんて投稿すると「その特権は国民の税金の上に成り立っている」と忠告を模した苦言を浴びせてくる奴もいる。だけど、ピンと来ない。申し訳なかったとすら思えない。税金払ってますが何かという反論も馬鹿らしい。

これがボクのボクなりのボクの傷(およびその傷に対する手当て)の受け入れ方なんだから。誰にどうこう言われる筋合いはない。そういうスタンスなのである。そしてそのスタンスは誰に強制されるものでもなく、誰に強制するものでもなく、そもそも矯正されうるものでもない。

HIVに感染したばかりの人が人生終わりなムードを漂わせている誰かの姿をみても「今だけ今だけ、どうせ投薬してU=Uになったら、もうゴム着けなくていいんだって喜んで、前以上にやりまくる」と楽観視してしまうのは、ボクという病だ。

リスクを重んじる医療職としては致命的な特性。

いつだってボクはボクの理想を超えたがる。

きっと読んでる者には伝わりにくい話なんだろうなあ。

まあいいや。ブログなんて読んで貰えたらラッキー、書いて発散、昇華させることが本来なんだから。

 

 

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命題

「リハビリも頑張ったんだからもっと減刑せよ」

「せっかく構築された信頼関係がダメになる」

そういう文脈で覚醒剤使用の非処罰化を世にアピールしていくことの白々しさ。そしてそういう言葉しか通じない世間の幼稚さ。

「1」という答えに出会うには、そこに「1」があればいいだけなはずなのに、掛けて、足して、引いて…どうにかこうにか努力の「1」を導き出す。

 

ボクは主張したい。もっとシンプルに。

覚醒剤の使用で誰かを捕まえることはおかしい」と。

だって、誰にも迷惑かけてないんだから。

殴ったわけでもなし、盗んだわけでもなし、犯したわけでもなし。

ボクは誰にも迷惑をかけていない。

 

この主張への説得力ある反論を今のところ誰も聞かせてくれない。

警察署も裁判所も刑務所も、もっといえば、病院の先生も、支援者も弁護士だって教えてくれない。

刑務所じゃみんなが一番興味を持つテーマであるはずなのに刑務官も法務教官もカウンセラーも誰一人として説明しようとする者はいない。

答えることのできない問いを問い続けることの虚しさ。

「捕まって迷惑かけただろう」とか「法治国家なんだから治安不安を煽っちゃアウトだ」とかいうやつもいるが、罪と罰の理由にはなり得ない。全くもって響かない。

アホらし。

 

ボクは覚醒剤を使って捕まったけど、正直言って、反省はしていない。

覚醒剤にかぎらず、人生において反省なんてなんの意味もないから。

ただ、反省とか更生とかいう言葉が好きな人が多いので、反省したふり、更生するふりは、色々便利に使わせてもらいましたけど。

刑務所でもそうだが、いつだってボクの身を助けてくれるのは反省ではなく学習だ。

悪しからず。

 

誰かに危害を加えたわけでもないに、どうして罰せられるのかほんと不思議だ。

覚醒剤使用者は容赦なく厳罰を課すべき極悪人であるというレッテル。洗脳。

抜くことができないほど深く突き刺さる罪。烙印。

罪が大きいから罪深くなる。

 

繰り返す。

覚醒剤の使用での逮捕はぜったいにおかしい」

このシンプルな主張をボクはしたい。だからしていく。

誰も説明できない理不尽で不可思議な社会が今ここに存在していることを確認するためにも。

 

 

 

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近所の銭湯でこの靴下に向けられた意味深なレーザービーム。そこには全身花柄のお兄さんがいて、思わず会釈してしまった。