ヤズコルヤズカマク

ヤズコルヤズカマクとはケチュア語で「行って目にして帰ってきたもの。目撃者…火山の内部を見た者。翼をもつ赤い存在…自らの弱さを全て焼き払った…を意味する(「赤の自伝」より)

記憶を消してこそ酒

 さすがに飲む量は減ってきたが、それでもビール、焼酎、酒、ワイン、リキュールに眞露紹興酒、なんでもござれだ。二日酔いなんて他人事。どれだけ飲んでも酒に飲まれることなんてなかった。ボクは笑い上戸で話し好き、いい酒の人間だ。アルコールに対して自信があったから酒の席も好きだった。「記憶をなくしてこそ酒」よくそう言っていた。

 そんなボクが一度だけ記憶をなくしたことがある。はじめて新宿2丁目に飲みに出てきた20代前半のころの話だ。この街こそ居場所なんだと20年分の勇気を振り絞り、知らないバーのドアノブをぎゅっと握りしめた感触を今もよく覚えている。入った店にはカウンターの中にマスターが一人きり。お客はいなかった。ビギナーにはおあつらえのシチュエーションだったのかも。挨拶、世間話からビールを二杯くらい飲んだあたりでボクの記憶は途切れた。どのくらいの時間がたっていたのかはわからなかったが、白い靄が晴れていくように目が覚めた。こんな風に起きた経験ははじめてだった。後ろのソファー席に寝かされたボクのズボンはぬがされいて、性器はむき出しだった。マスターはすました様子で洗い物をしていた。ずぎずきする頭で身支度を整え、荷物を持って何も言わずにボクは店を出た。

 何が起こったのかわからなかった。いやわかっていた。何かクスリを盛られて犯られたんだろう。いくら緊張していたとはいえビール二杯で記憶がとぶはずがない。

 恨んでもいないし、自分を責めたりもしていない。二丁目はそういうとこだと決めつけもしないし、性に奔放になったのはあのせいだなんてくだらない分析もしない。思い出すことすらほとんどない。今の自分とあの夜の出来事はつながらない。すっぽりとそこだけ別物だ。変わっていない。何も変わっていないし、変わらない。あれ以来「記憶をなくしてこそ酒」と言わなくなったこと以外ボクは何も変わっていない。

 変わらないボクをよそに、数週間後その店の看板は別の名前になっていた。

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酒(特にお気に入りのビターズ)も二丁目もゲイバーも、そして自分自身も嫌いにはなれません