ヤズコルヤズカマク

ヤズコルヤズカマクとはケチュア語で「行って目にして帰ってきたもの。目撃者…火山の内部を見た者。翼をもつ赤い存在…自らの弱さを全て焼き払った…を意味する(「赤の自伝」より)

母という字は難しい

 母という字は難しい。どうしても巧く書けない。

 母の日のプレゼントは難しい。いつもうまく選べない。

 母の好きなものってなんだろう。いまだわからない。

 なぜだか女子の友達が多かった小学校時代。いち早くその違和感に気がつき、気に病んだ母は、ボクに男らしさを獲得させようと少年ラグビークラブやらサッカー教室やらに通わせるのに忙しかった。母親の興味はボクの普通社会への適応に一直線だった。ボクも期待に応えようと精一杯だった。だけど…、悲しいかな涙ぐましい母とボクの努力は報われなかった。波乱万丈紆余曲折(これまでのブログ参照)を得て、親不孝を引き換えにボクは見事なゲイアイデンティティを確立してしまった。

 人生においては決定的な諍いというものがいくつかある。あの日保釈中だったボクは母と大きく諍った。しばらく会っていない子供(実の息子)から実家に連絡があったと聞いたボクは「刑務所に入る前に一度会っておきたい」と言った。「あの子はあなたじゃなくて私達祖父母に会いに来たいと言ってきたんだからあなたは会う必要はない」と母親はボクと子供の再会を拒んだ。なんてひどいことを言うんだと憤慨しながら、一方でこの傷つけられた事実をこれからの親子関係でのマウントに使ってやろうと思う自分もいた。救いようのないこじれっぷりである。

 あれ以来、ボクは母親とうまく話せない。LINEのやりとりでさえ喧嘩になってしまうので極力控えている。想えば伝わる…伝わりすぎて傷つけあう。だから、ボクらは母子は言葉のやりとりを手放し、気持ちの交換はどちらかが死んでからだと諦めている。いつの頃からか、つながる手段は物品の送り合いに限るようになった。折り合いは大事だ。毎月一度とりあえず物を送っている。つかず離れずそれがちょうどいい温度となっている。ただ母の日や誕生日なんかだとドライにクールにふるまえない自分があらわれる。母の日は苦手だ。

 母という字は難しい。どうしても巧く書けない。

 母の日のプレゼントは難しい。いつもうまく選べない。

 母の好きなものってなんだろう。いまだわからない。

 

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父へのプレゼントは楽ちん。