ヤズコルヤズカマク

ヤズコルヤズカマクとはケチュア語で「行って目にして帰ってきたもの。目撃者…火山の内部を見た者。翼をもつ赤い存在…自らの弱さを全て焼き払った…を意味する(「赤の自伝」より)

晴れた日の薄暗い精神

仮釈が終わった。

罰を乗り越えた経験を「どうだオレってすごいだろう」ってたいそう高らかに誇るのも御門違いだ。「晴れて自由だね」と喜んでくれる同僚に「また使ったら捕まってしまう可能性があるからそんなに嬉しくないし、安心もできない」と返したら呆れられてしまった。

何はともあれめでたい話である。とはいえ色々考える。

 

刑務所にいた時に、事件の原因を事件を起こす以外の解決方法について考えるという課題があったことを思い出した。

事件の原因は簡単だ。薬を使いたいという気持ちのせいだ。この原因を解決する方法なんてさらに簡単だ「薬を使う」一択だろう。ごちゃごちゃ言ったって他のアイデアは妥協以外の何物でもない。自助グループ、ミーティング、カウンセリング、教育プログラム…マスターべションだってそう。妥協を積み上げてちまちま紛らわしているって話にすぎない。

回避は解決にあらず。

 

事件を起こした状況を振り返ってみようって課題もあったっけなあ。

ボクは職質された場面を思い出した。ボクにとっては薬の使用よりも逮捕の方が断然と大事件だったんだ。

あの頃は…だんだんと刑務所に近づくような道を歩いてきたんだけど、自覚がないから本人としては落とし穴に引っかかったみたいにに慌てふためいてしまった。怒り、叫び、自分を落ち着かせることに懸命にあたふたする。そして、使用の記憶が逮捕のエピソードに上書きされる。

ボクは精神障害者であり、かつ倫理障害者でもあるのだろう。「やめる」と「やめなくても大丈夫な社会をつくる」の夢を同時に成し遂げようとしてしまう理想高き愚かなアホだ。

 

まあなんにせよ、ボクの人生の分かれ道は覚醒剤との出会いだったことであることは間違いない。だけど覚醒剤に出会わなかった人生を生きる自分と今ここにいる自分とは別人だ。ボクはボクでよろしくやるしかない。

 

とりあえずナイモンでも登録しようかな。けどなあ。あの虚栄心と自尊心と劣等感をいやな感じで突いてくる世界観は今のボクにはまだ刺激的すぎるかな。

まあいいや、寂しくてもつらくてもしんどくても不幸でも、悲しくさえなければボクはボクらしくいられるからもう大丈夫。

 

 

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特殊詐欺グループのアジト見たいだと言われたがらんとしたマイスイートホーム。目指すは定住。